織田信長 検証ファイル
通説を、
鵜呑みにしない。
ドラマや小説で語られる信長の逸話を、年代順にならべる。 それぞれの出典を示し、史料の近さで信憑性度を判定する。

- 1560永禄三年(1560)五月
桶狭間の戦い —— 豪雨の奇襲だったのか
大軍を率いる今川義元を、寡兵の信長が討ち取った出世戦。豪雨に乗じて山を迂回し、背後から奇襲したと語られる。
確実信憑 2〜5 - 1567永禄十年(1567)ごろ
天下布武 —— 全国統一の宣言だったのか
信長が用い始めた「天下布武」の印。天下統一への野望の表れと読まれてきたが、「天下」の指す範囲をめぐって見直しが進む。
諸説信憑 2〜3 - 1570元亀元年(1570)四月
金ヶ崎の退き口 —— 秀吉の殿と、お市の小豆袋
浅井長政の裏切りで挟撃の危機に陥った信長が、越前・朝倉攻めの途上から急ぎ撤退した一戦。しんがりを木下秀吉が一手に引き受け、お市が両端を縛った小豆袋で挟撃を報せた——と語られる。
有力信憑 1〜4 - 1571元亀二年(1571)九月
比叡山焼き討ち —— 全山焼失・数千人虐殺は本当か
浅井・朝倉に味方した延暦寺を信長が攻めた事件。全山を焼き払い、僧俗数千を撫で斬りにしたと伝わる。
確実信憑 2〜5 - 1575天正三年(1575)五月
長篠の戦い「三段撃ち」—— 鉄砲三千挺は交互に撃たれたか
武田勝頼の軍を織田・徳川連合が破った合戦。三千挺の鉄砲を三列に並べ、入れ替わりで連射して武田騎馬軍団を殲滅した——という「三段撃ち」が広く知られる。
確実信憑 2〜5 - 1582天正十年(1582)六月二日
本能寺の変 —— 事実は堅く、動機は諸説、名台詞は創作
重臣・明智光秀の謀反により、信長が京・本能寺で最期を遂げた事件。起きたこと自体は動かないが、「なぜ」を巡っては俗説が積み重なり、名場面の多くは後世の産物でもある。
確実信憑 1〜5
時系列の外
人物像ファイル
特定の年に起きた出来事ではなく、後世に作られた「信長像」を検証する。