天正十年(1582)六月二日
本能寺の変 —— 事実は堅く、動機は諸説、名台詞は創作
通説
重臣・明智光秀の謀反により、信長が京・本能寺で最期を遂げた事件。起きたこと自体は動かないが、「なぜ」を巡っては俗説が積み重なり、名場面の多くは後世の産物でもある。
検証
信憑性度は「その主張を支える史料の近さ」の目安です(5=同時代の一次史料、1=史料に根拠なし)。
- 確実
検証 01
明智光秀が信長を討った(実行犯)
見立て:同時代史料で確実
- 一次公家の日記事件直後の京の記録が一致する
- 一次フロイス書簡宣教師による同時代の報告
- 創作
検証 02
光秀が「敵は本能寺にあり」と号令した
見立て:後世の創作(史料に根拠なし)
- 後代日本外史(頼山陽)江戸後期の史論。名台詞の出所とされる
- 疑わし
検証 03
動機は信長への怨恨(折檻・遺恨)だった
見立て:後世の軍記・逸話が主な典拠
- 軍記後世の軍記・逸話同時代の裏付けを欠く
- 有力
検証 04
信長は最期に「是非に及ばず」と言った
見立て:側近の記録にあり比較的有力
- 編纂信長公記太田牛一が最期の様子として記す